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稲場圭信の研究室 Keishin INABA

利他主義・市民社会論、ソーシャル・キャピタルとしての宗教に関する研究、宗教社会学:::稲場圭信(大阪大学大学院教授) Keishin INABA(Ph.D.)'s site for the study of altruism, civil society and religion as social capital.

スピナビ映画感想1

スピリチュアリティに関連した映画、「スピリチュアリティ・カフェにようこそ」と「spinavi」を見た院生の感想です。
これまで授業で扱ってきたのがキリスト教や先端医療技術、ユングなどといった話題だったので、スピリチュアリティを自分とは距離のある難しいものだと思っていました。

ビデオでは宮崎アニメや漫画などもスピリチュアリティだと言っていて、実は私が今までそういったものを通して感じていたものもスピリチュアリティなのではないかと思い、身近なものだと感じることができました。

私がビデオの中で一番気になったのは「見えないものが見えるようになってくる」という言葉です。それは人間関係や自分の行動に関しても当てはまるものだと思いますが、スピリチュアリティがそのようなものだと考えると私にとっては非常に理解しやすい概念になります。今乗っている社会の流れというものはせわしなくて、早くて、常に判断が求められる厳しいものですが、そうしたなかでふと立ち止まって感じるもの、「見えないものが見えてくる」感覚、気づく感覚というのは私も感じることです。

ビデオを通して気になったのは、「スピリチュアリティ」という言葉が広く捉えられているということです。人によってとらえ方が違う。私にとっては「見えないものが見えてくる」という解釈が一番しっくりきますが、それだけで捉えられるものではないと思います。はっきりとした定義や解釈がないために「スピリチュアリティ」という用語はひどくわかりにくいですが、だからこそ「スピリチュアリティ」なのではないかと思います。スピリチュアリティをわかろうとすること、そして「このようなものではないのか」と思い、それを誰かと共有することがスピリチュアルな行為であるようにも感じます。

結局私もまだよくスピリチュアリティを理解できていませんが、価値判断を含まない「スピリチュアリティ」という言葉はそれだけに宙に浮いているような、掴みにくいものであって、近代的な社会とは相反しているだけに、そのような価値観にそまった私には理解しがたいものになっているのかもしれません。

By Y. Y.

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