掃除をしながら、また、掃除の後にも様々な思いをうかがいました。そして、ご住職、田中徳雲氏と現地の語り部の方のご案内で、途中、役所で許可書をもらい、浪江や原発の北6キロのところまで行きました。

20キロ圏内でも線量が比較的低いところもあれば、圏外でも高いところあるのに、賠償・補償が画一的で、被害者の間に亀裂が生じています。利益効率で走ってきた戦後日本社会の問題がすべて出ています。


50年でダメになってしまうコンクリートの防潮堤ではなく、地域の人たちの願いで実現した防潮林の植林。森になって、数十年、100年と地域の人を見守り続けることでしょう。特別なことはできませんが、今後も継続的に関わっていきたいと思います。
