・阪神淡路大震災から東日本大震災へ
・共感縁の誕生
・今、求められているもの
○阪神淡路大震災から東日本大震災へ
1995年、阪神淡路大震災が起き、ボランティア元年と言われた。支え合う社会に変わるように思えた。バブル経済が崩壊し、経済が低迷する中での阪神淡路大震災、そしてカルト団体オウム真理教の地下鉄サリン事件が続き、大きな節目の時代だった。その前から、価値観の多様化にともなう倫理観の変化によって人心が荒廃しているという見方がある一方で、時代に対応して人々の問題意識の高まりもあった。多くの書店で、「社会福祉コーナー」「ボランティアコーナー」「自然環境コーナー」などが設置され、NHKが『週間ボランティア』番組の放送を開始したのも1994年、この頃だ。しかし、その後の10数年、日本社会のあり方は変わったのだろうか。
利益と効率のみを追求し、人を物のように使える・使えないで切り捨て、自己責任論のもと個人に過剰の負担がかかる社会。勝ち組・負け組の分断社会。地縁・社縁・血縁が奪われてゆく無縁社会。阪神淡路大震災で支え合う社会に変わると思われた日本社会が、なぜ、このような社会になってしまったのか。
1960年代、70年代の高度経済成長は、都市人口の過密化、住宅難、交通地獄、公害問題など深刻な問題を生みだした。1970年代すでに、高度経済成長の価値に対する国民の疑問が表面化している。しかし、そのまま社会は走り続けた。そして、原子力発電はその時代に誕生したのだ。
未来学者のアーヴィン・ラズロは指摘している。「過去になりつつある近代の価値・信念体系がいまだに私たちの社会の基盤になっている」と(『持続可能な教育社会をつくる』)。その今や時代遅れになりつつある近代の価値・信念体系とは、「人間は自然を制御できる。ものごとを進めるにあたり効率性がもっとも重要である。すべてはお金に換算できる。個々の人間は個別の存在。市場に委ねれば社会はうまく機能する」といった考え方だ。この近代の考え方が社会にあまりにも深く浸透し、日本人もそれによって動かされていたために、阪神淡路大震災の時に変わると思ったのもつかの間、社会は変わらなかったのだ。そのような考え方で走り続けなければ、ふと立ちどまった時に生きる意味の貧困に気づいてしまうからだ。その考えは、危険を知りながらも、安全神話を受容した原発依存社会の根底にもあったものだ。
○共感縁の誕生
昨年末から、児童養護施設の子どもを支援する「タイガーマスク現象」が日本全国で起きた。人を助ける・支援するという思いが日本社会に垣間見えた。そして、未曾有の大災害に、人々が共通の問題解決のために立ち上がり、新たな連帯が生まれている。つながりがそぎ落とされてきた社会にあって、大きな変化が生まれたと言えるのではないだろうか。原発に対する安全神話が崩れ、科学技術に対する現代人の見方・関わり方も根本から問い直されている。
今の日本社会、他者を助ける行為、利他的行為を自己犠牲とは感じない人々がいる。お互い様、そのような相互関係の心、連帯感が生まれている。私たちの中にある、苦難にある人へ寄せる思い、共感だ。あらゆる縁が弱まった社会に、今、「共感縁」が生まれたのだ。
○現代社会 今、求められているもの
様々な縁が弱まり、放り出された個人は、生きる意味の不在と自己の存在の不安定さに不安を覚える。そして、生きる意味を探す。しかし、生きる意味は、一人でいては見つからない。生きる意味は、人とのつながり、社会とのつながりがあってはじめて浮かび上がってくるものだ。時には、自らの至らなさに涙しながら、それでも人と、社会に関わっていく、その中に、何かをつかむ。そうした人が社会を変える。
今、求められているのは、人間だれもが、同時代的にさらには世代を超えて、人間としての尊厳をもって生きられる社会の構築だ。通奏低音として流れるものは「命の尊さ」。これは教育界で取り上げられている「命の教育」にもつながる。自らとともに他者をいつくしみ、自然を、生きとし生けるものをいつくしむ生き方だ。人間観、世界観、人生観に影響を与え、日常的な実践に生かされる知恵が必要だ。知識だけではなく、生き方の姿勢の変化こそが重要なのだ。