稲場圭信「希望の扉第7回:人と人とのつながりソーシャル・キャピタル」『親切だより』2010年7月号 No.570 2頁
先日、大阪にあるユニークな寺院でのオープンセミナーにゲストとして参加しました。会場は、大阪市天王寺区のまち中にある應典院(おうてんいん)と呼ばれる浄土宗のお寺です。お寺といっても、いわゆる普通のお寺ではありません。檀家さんがいない、お葬式をしない、そんな一風変わったお寺です。
1550年、将軍足利家の大阪祈願所として創建された浄土宗大連寺、その塔頭(たっちゅう)寺院であった應典院は1997年にユニークなお寺として生まれ変わりました。本堂は音響と照明施設を完備した円形型ホール仕様となっており、ギャラリーや複数のセミナールームを備えています。玄関ホールには全面開架のライブラリーが併設され、講演会や演劇のチラシも置かれています。まさに劇場型空間。文化・芸術の情報発信基地、人と人との交流の場です。老若男女、多数の人が集います。
「應典院寺町倶楽部」というNPOを核に、寺子屋トーク、舞台芸術祭、いのちと出会う会、映画おしゃべり会、演劇、その他各種ワークショップなど、多彩な企画を催し、学び、癒し、レジャーの場を提供しています。劇作家・演出家の平田オリザさん、大阪大学総長の鷲田清一さんもワークショップなどで関わりました。
「気づき、学び、遊び」を大切にし、地域に開かれたネットワーク型寺院、これは、まったく新しいお寺のカタチでしょうか。今の時代にあって、先駆的な取り組みをしていて、注目を浴びている寺院であることは間違いありません。しかし、かつて寺院は教育・文化振興の役割を地域社会で担っていました。人と人をつなげていました。今、日本社会で、そのような役割を担う器が存在しない、これが社会的問題であるとの思いを持って活動をしている應典院の秋田光彦住職と山口洋典主幹が中心となり「まちと宗教のひそやかな関係」と題したオープンセミナーの場が企画されたのです。
セミナーのホスト役は、新しい公共社会の研究に取り組む関西学院大学准教授の関嘉寛さん。ゲストの私は、「まちの生きづらさを考える~思いやり格差の視点から」と題して、拙著『思いやり格差が日本をダメにする』(NHK出版)と『社会貢献する宗教』(世界思想社)をベースに講演しました。
話の中心は、ソーシャル・キャピタルです。社会科学の領域では、10年ほど活発に議論されているテーマです。社会のさまざまな組織や集団にある「信頼」「規範」「人と人との互酬性」がソーシャル・キャピタルと呼ばれるもので、社会関係資本と訳される場合が多いです。このソーシャル・キャピタルが強く、しっかりしているところは、組織や集団として強いです。思いやりによる支え合い行為が活発化し、社会のさまざまな問題も改善されます。
1995年、阪神淡路大震災が起こり、多くの人が、メデイアを通して全国から駆けつけたボランティアの姿を目にしました。その年に実施された価値観調査で、人に対する信頼度が上がりました。他者の苦境を思いやり、他者のために活動をしている人がいる、この事実が、人に対する信頼度を押し上げたのでしょう。
ボランティアが盛んなところでは人に対する信頼度が高いのです。実際に、世界三〇数ケ国のデータにおいて、ボランティア活動などの支え合いの活動と人への信頼に強い関係性が見られました。そして、世界の各国がソーシャル・キャピタルに関心を示し、さまざまな社会政策を進めてきました。
なぜ、ソーシャル・キャピタルが重要視されるのでしょうか。日本社会は、世界の多くの国々と同様に、民主主義化を進め、豊かさと幸せを追求してきました。しかし、現代社会には、犯罪、貧困、虐待、環境問題、テロ・紛争、格差社会など問題が山積です。都市化・核家族化が進行し、枠組みとしての共同体は崩壊の危機に瀕しています。孤独死や無縁社会などの言葉も社会に浸透しています。人と人とのつながりが薄れ、過剰な利己主義への批判と「支え合う社会」構築への希求からソーシャル・キャピタルが注目されているのです。今、人と人とのつながり作りが、市民の手によって進められています。