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稲場圭信の研究室 Keishin INABA

大阪大学大学院教授(人間科学研究科):専門は共生学。地域資源(寺社等宗教施設と学校)と科学技術による減災が近年の研究テーマ。日本最大の避難所情報、未来共生災害救援マップ(災救マップ)開発・運営

第43回大阪大学21世紀懐徳堂講座

43回大阪大学21世紀懐徳堂講座「復興の知 -暮らしと心」
「心のケアから丸ごとのケアへ-共感縁と無自覚の宗教性-」 
http://21c-kaitokudo.osaka-u.ac.jp/sqalf/lecture~reportB#b-7
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日時=12/14(水)18:30~20:00

■講師=人間科学研究科・准教授/稲場 圭信

■講義要旨

東日本大震災に心のケアの重要性が指摘されている。しかし、「心のケア」と構えた姿勢では、ケアにはつながらない。まずは、寄り添うことから始まる。本講義では、共感縁と無自覚の宗教性から、寄り添いのボランティア、丸ごとのケアについて話した。

まず、医療機関による心のケアチームについて簡単に紹介し、兵庫県こころのケアセンター・副センター長である加藤寛氏が指摘する、被災の状況を聞き出すことのリスクに言及した。そして、被災者が復興・再建に向かう気力が出るのを見守り、そっと寄り添う伴走者としての丸ごとのケア(何でも屋、御用聞き、土台のお手伝い)が、心のケアにつながること、心だけを切り取って考えることの問題を指摘した。

日本人の多くは自分は無宗教と思っているが、先祖に対する感謝の念や神仏や世間に対する「おかげ様」という思いは生きている。この「無自覚の宗教性」も支援の輪が広がっている背景にあろう。大切なことは、できることを何でもさせて頂くという姿勢だろう。そして、相手に寄り添うことが、心のケアにつながるということだろう。地域のつながりを奪われ、家族を無くし、あらゆる縁を失った人たちが、これから生きていく、それを多方面でサポートする。苦難にある人に寄り添い、ともにすることにより、その人の心が開かれる。そのような関わりが心のケアにつながるのであろう。

四方僧伽北海道という仏教者グループの上川泰憲氏は、岩手県大船渡で、そのようなケアを継続して行っている。物資を運び、仲間の美容師がヘアカットをし、レストランシェフが中心となって食事を作り、ミュージシャンが音楽を奏で時をともにする。そこに人間関係が作られる。彼らが活動をして、北海道に戻るときには、被災者は彼らの手を取り、抱き合い、再会を約束する。そして、彼らは再び訪問する。人間的なつながりがそこにある。

1995年、阪神淡路大震災が起き、ボランティア元年と言われた。支え合う社会に変わるように思えた。しかし、その後、日本社会のあり方は変わったのだろうか。利益と効率のみを追求し、人を物のように使える・使えないで切り捨て、自己責任論のもと個人に過剰の負担がかかる社会。勝ち組・負け組の分断社会。地縁・社縁・血縁が奪われてゆく無縁社会。利益効率、業績主義。ひとたび「駄目」とレッテルを貼られると、はい上がれない「ダメ出し評価社会」の中で、誰もが人からの評価を気にして生きた。そして、2011年3月、東日本大震災、福島第一原子力発電所事故。「支えあい」「思いやり」が大事だと捉え直す人は増えている。

今の日本社会、他者を助ける行為、利他的行為を自己犠牲とは感じない人々がいる。お互い様、そのような相互関係の心、連帝感が生まれている。私たちの中にある、苦難にある人へ寄せる思い、共感である。あらゆる縁が弱まった社会に、今、「無自覚の宗教性」にもとづいた「共感縁」が生まれた。心だけを切り取ったケアではなく、この共感縁による支えあいの連携、被災者に寄り添う伴走者としての丸ごとのケアが重要であろう。

 主要参考文献  稲場圭信『利他主義と宗教』弘文堂




■受講生の感想など(アンケート回答より抜粋)

・丸ごとのケアにより、自然な形で相手に寄り添うことの重要性が理解でき、興味深かった。

・災害と宗教とのかかわりについて、心のケアに宗教の果たす役割が重要または効果的というお話がありましたが、確かに宗教者の有する受容性はカウンセリング面で大きな力を発揮されるものと感じています。

・ボランティアとネオ・リベラリズムとの親和性は考えられないのでしょうか。また、ボランティアとナショナリズムの関係をどのように考えればよいのかお聞きしたかったです。

『利他主義と宗教』の誤字訂正



先日刊行された拙著、稲場圭信著『利他主義と宗教』(弘文堂)に誤字がありました。読者の皆さまにお詫び申し上げ、ここに訂正させていただきます。
17頁の気仙沼市にある曹洞宗の寺院は、正しくは「清凉院」です。「涼」を「凉」に訂正です。

清凉院の三浦光雄ご住職に誤字のことをお詫び申し上げました。ご住職は、「お変わりありませんか」とこちらの身を案じて下さり、その後、寒さが厳しいこと、仮設住宅は基礎・土台がつながっているので隣で朝早く起きたり、掃除したりした時の音が気になって、ストレスになっている被災者の方々のことを話して下さいました。清凉院の400檀家のうち、どれくらいが正月に清凉院を訪れるか、心配とも。
来春、また訪問したいと思います。

原発 もの申す宗教界(朝日新聞、2011年12月19日夕刊、大阪本社)

原発 もの申す宗教界(朝日新聞、2011年12月19日夕刊、大阪本社、編集委員・森本俊司)
東京電力福島第一原発の事故を機に、宗教界から原発をめぐる声明が相次いでいる。「廃止」を明言したり、言外に「脱原発」をにおわせたり。表現は様々ながら、保守層から受け入れられやすい宗教内の世論が、原発に厳しくなりつつある。
AAR


具体的な道筋も考えて
宗教の社会貢献を研究する稲場圭信・大阪大准教授(宗教社会学)の話:
ネット上には宗教界の声明を「迎合」と批判する声がある。しかし、原発の業界にも信者らがいる宗教界が相次いで声明を出した意味は大きい。「脱原発」の具体的な道筋を、市民と一緒に考えてほしい。

ボラ人の会 特別講演会

「中越・関西から震災を考える」
実践家と研究者の対話

大阪大学の吹田キャンパス人間科学研究科で開催されます。

ボラ人講演会ポスター1220

2012年1月23日
15:00-16:00 特別講演会
講演者: 稲垣文彦氏 (社団法人中越防災安全
推進機構復興デザインセンター長)

16:15-17:45 パネルディスカッション
登壇者: 稲垣文彦氏、渥美公秀教授、
志水宏吉教授、稲場圭信准教授

主催: ボラ人の会
細田夢乃(現代社会学)・三谷はるよ(経験社会学)
前馬優策(教育文化学)・岡邑衛(教育文化学)
ML登録:join-husnetwork311.2wc4@ml.freeml.com
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『利他主義と宗教』刊行

『利他主義と宗教』稲場圭信(著)弘文堂が刊行されました。



研究者に加えて、世の中のひとに広く読んでほしいと願い、値段を安くすること、読みやすい文体を心がけましたが、これまでの研究のエッセンスはつめました。ご参考になることがあれば、うれしいです。

すでに本書の感想を頂戴しております。ありがとうございます。名前をふせて、いくつかご紹介させて頂きます。


・大変示唆に富んだ内容で、当財団の次回の社会調査のご参考にさせていただきたいと存じます。宗教系NGOの活動をされている方々にも、ご一読をおすすめしようと考えております。(財団理事)

・一つ一つが身体に入ってくるような深い課題として受け止めています。震災の年の暮れに、われわれの歩むべき行方にも新たな方向性をいただいた気がいたします。出来る限り、周囲にも紹介させていただきます。(僧侶)

・東日本大震災に関連する調査もふまえ、またこれまでのご研究の蓄積の中からうまれた御著作で、大変興味深い。(宗教学者)

・全体が優しい文体が貫かれており、大変読みやすそうなご著書ですね。宗教と社会貢献というテーマを考える上で、ヒントとなるアイデアが一杯詰まっているという印象をもちました。(宗教学者)


・稲場さんらしい筆致が読みやすい良書です。ソーシャルキャピタル、無自覚の宗教性、まるごとのケアといったキーワード(宗教学者)

・これまで書かれたものを分かりやすくまとめ直されたのですね。多くの読者を得ることと思います・・・。(宗教学者)

・たいへん多くの示唆をいただきました。(僧侶、作家、学者)

・「利他」という大乗仏教の真髄を、グローバルな場で研究を貫いてこられた稲場さんの、この状況でのお仕事に、敬意を表します。目次を拝見し具体的実践の力強さに裏打ちされ、理論的奥行きのある説得力に満ちていると感じました。(ジャーナリスト)

・共感を覚えました。良いものをタイムリーに発信してくださったと感謝しています。(神父)

・社会運動への宗教的アプローチにおいても、また、このテーマをめぐる学術的研究においても、それを進めるための「方法」の難しさを痛感してきました。ご高著からその手がかりを探りたいと思います。(宗教学者)

・利他主義という観点から掘り下げたご考察はたいへん示唆に富んだもの・・・(宗教者)

・わかりやすく利他主義のありようにせまっていますね。東日本大震災が身近な関心となっているときだからこそ意義のある出版だとおもいます。(宗教学者)

・帯を見ると「震災本」かと思われがちですが、中身はこれまでの研究の蓄積がコンパクトにつまった本です。(宗教学者)

・英語の著書の翻訳的な内容かと勝手に予想していたのですが、これまで書かれてきたものを中心に、東日本大震災後の状況も踏まえた内容となっており、おどろきました。
一つのテーマを追究することの重みを実感いたしました。(宗教学者)

・研究と実践、行政と市民運動、学界と宗教界、諸宗教関係など、異種の出会いがある、難しい領域での仕事が、よい方向に進むには、中心になる方が、稲場さんのような温厚で、包容的で許容度が大きいことは、たいへんありがたいことと思います。(宗教学者)

・具体的な事例が参考になります。日本の事例の紹介がやや月並なのみ比べ、国外の事例の紹介は躍動感があります。これは対象のもつパワーの差でしょうか?(宗教学者)

⇒私の応答:国内と国外の紹介の温度差について、私自身は指摘されるまで気がつきませんでした。対象のもつパワーというよりも、海外だとディタッチメントもしやすく、その分、思い切って書ける一方、国内の事例は抑え気味なってしまうのかもしれません。被災地に関しては、未だに先が見えない状況で、被災者のことを考えると自然と慎重になってしまうのだと思います。

・多くのフィールドでの実践やリサーチから、「思いやり」や「共感縁」の創出に、宗教の積極的な使命を見出そうという強い意志を感じました。第四章で扱われている「日本人の意識構造」「日本人の宗教性」などの、やや実体論的な議論には、今日では多くの批判にさらされている問題点も多いと思われますが、そうした批判への対応も聞いてみたいと感じました。(宗教学者)

⇒私の応答:ご指摘頂きました点、重要な課題として受けとめております。日本人の精神的古層、集団主義的な精神性など、哲学、宗教学、人類学からも、文化ステレオタイプである、科学的根拠がない、といった指摘があります。一方、社会的行為・社会行動には、社会的に構築された日本人像を背負って行動する、「世間」を気にする心理が働き行動するということもあります。このような論争の存在を確認した上で、「つながり」や「おかげさま」の感覚から無自覚の宗教性を理論的に論じて今後の研究のための視座を提示しています。欧米のような教会参加や宗教実践とは異なる概念「無自覚の宗教性」を使って、ボランティア実践との相関を見るなど、変数として操作可能なものとするために尺度開発が必要ですが、今後、計量社会学の専門家たちと研究を進めたいと思っております。