「親切だより」連載「希望の扉」第一四回 「利他的遺伝子の目覚め?」
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大阪大学 稲場圭信
今の日本社会、他者を助ける行為、利他的行為を自己犠牲とは感じない人々がいます。お互い様、そのような相互関係の心、連帝感が生まれています。前回の「希望の扉」でこのように書きました。三月一一日以後、日本社会で変化が起きていると指摘しました。多くの方が感じていることだと思いますが、本当にそうなのでしょうか?
近年、欧米社会では、利他主義の動きが活発化しています。社会学、心理学、哲学などの研究の世界で「利他主義」研究が盛んになっています。二〇〇九年、アメリカ社会学会に、「利他主義・道徳性・社会的連帯」という専門部会ができました。日本でも、先日、小田亮著『利他学』(新潮選書)が刊行されたばかりです。
利他とは、他者の利益になる行動です。電車で席を譲る、人が物を落としたときに拾うなど、他者のために動いたことがない人は少ないでしょう。東日本大震災では多くの人が被災地に義援金や物資を送り、救援に駆け付けました。なぜ人間はこのような行動をするのでしょうか。
リバース・エンジニアリングという考え方があります。「機能」が何であるかが分かると、その「しくみ」の理解が進むという考えです。本書では、人間行動進化学の専門家である著者が、「機能」と「しくみ」から利他のメカニズムを平易に説明しています。
赤の他人への利他行動は互恵的利他で説明されます。つまりはお互いさま。そして、その利他行動は、直接的なお返しがなくとも、評判が立つことで第三者によって報われるのではないか。人の利他性と周囲の社会的なサポートとの間に関連性が確認されたといいます。情けは人のためならずと言ってしまえば、味気ないでしょうか。
二〇世紀末からの研究は、利他性は社会生活によって学ぶことができるということを示しています。本書でも制度や規範からうば捨て山の話まで、社会との関係性が幅広く取り上げられています。利他行動を包括的に解明した本書の誕生は、従来のような行政主導のシステムに頼るのではない、利他性に富む市民社会が希求されていることの証左でもありましょう。
本書の圧巻は、人間には、利他主義者とそうでない人をある程度見分ける能力があるという指摘です。人は見た目ではないといぶかしがる人は、その実験手順も含めてご自身で本書をご検討ください。
さて、今回の導入部分の問いに戻りましょう。三月一一日以後、日本社会で変化が起きているのでしょうか。電通が四月に「震災一カ月後の生活者意識」調査を実施しました。全国四七都道府県の二〇歳から六九歳の二〇〇〇名が調査対象です。その調査報告のキャッチコピーが「震災で目覚めた利他的遺伝子」。そして、「静かに耐えながら、確かに強くなっている。心に備わっていた『助け合う本能』」と綴っています。
意識・行動の変化として、調査結果から三点あげておきます。第一に、「自分第一主義から家族回帰へ」です。「家族や友人・仲間を守ったり、助けたいという気持ちが震災前より強まっている」(61.2%)や「家族の絆や身近な人々との絆をいままで以上に重要にしようと思う」(63.9%)の結果が提示されています。地縁コミュニティの大切を痛感する一方で、緊急時には守れる人に優先順位を付けざるを得ない中に、うわべだけの人間関係が淘汰され、本当に大切な人との絆を求める意識が高まると指摘しています。
第二点目は、「当たり前から、ありがたみ・感謝へ」です。いままで、当たり前のように感じていたことに対して、ありがたみや感謝を感じ、一瞬一瞬を大切にしようという気持ちが芽生えるようになると推測しています。
そして、三点目は、「他人への依存から、主体・自律へ」です。「他人や社会のために役立ちたい、正しいことをしたいという気持ちが震災前よりも強まっている」(51.9%)という調査結果が提示されています。国や社会、周りのひとの誰かが何とかしてくれるという考え方では、何かあった時に対処できないことを知り、自分がやらなければいけない、できる人がやらなければいけない、という主体性・自律性の意識が高まると指摘しています。
利他的遺伝子が目覚めたというのは、あくまでも比喩ですが、私たちの中に眠っている何かが目覚める、希望が持てそうです。