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稲場圭信の研究室 Keishin INABA

大阪大学大学院教授(人間科学研究科):専門は共生学。地域資源(寺社等宗教施設と学校)と科学技術による減災が近年の研究テーマ。日本最大の避難所情報、未来共生災害救援マップ(災救マップ)開発・運営

避難所でトイレの仏様に出会った!

「避難所でトイレの仏様に出会った!」

この度の熊本地震の犠牲になられた方々、ご家族の方々に心より哀悼の意を表し、被災された方々にお見舞いを申し上げます。

被災地の状況を現地で見て、被災者の声を聴き、私も心が痛いです。そんな中、昨日、避難所で「トイレの仏様」に出会いました。

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熊本地震の被災地では、連日、行政の職員、社協、市町村から派遣された職員、自衛隊など様々な人が災害救援・支援活動に取り組んでいる。

自ら被災者でありながら、職務を遂行する職員。ボランティア。皆、思いは同じだ。地震の沈静化を、そして、被災者の安寧を願っている。

多くのボランティアが被災地に入っている。避難所の運営の手伝い、炊き出し、被災者の自宅の片づけ、寄り添いなど、その活動は多岐にわたる。

今回、熊本地震発災後、3回目の熊本入りで、私は避難所で「トイレの仏様」に出会った。

その避難所には、仮設トイレを掃除する人たちがいる。被災者が自主的に、トイレットペーパーを取り換えたり、掃除をしている。そこに単独で参加し、掃除の合間に被災者の声に耳を傾ける僧侶のO氏。

彼は、仮設トイレをすべて手作業で拭き掃除をした。他のボランティアがしない便器内も手作業で拭く。

避難所の簡易トイレを本気で掃除するのは大変だ。21年前、阪神・淡路大震災の時、避難所となっていた小学校の仮設トイレを掃除して、あまりの異臭、大変さに音を上げたのは私だ。

O氏は、午前、午後と毎日、仮設トイレの掃除を続けた。避難所の仮設トイレが汚いと、トイレの利用回数を減らそうとする人もいる。そのために、水分摂取量を控え、体調を崩す。仮設トイレがきれいであれば、利用する人の心と体の負担が軽減される。

消毒液のにおい、便器からの飛沫も服につく。O氏の黒いシャツは、汗で白い粉が吹いていた。手は、トイレ掃除をおわって、消毒液のニオイが。その彼と握手をした。

表に出ないボランティア。地味な活動かもしれない。しかし、避難所の仮設トイレを利用している避難者は気がついていたであろう。
そう、O氏の顔は輝いていた。私は避難所で確かに「トイレの仏様」に出会ったのだ。

[大阪大学大学院教授:稲場圭信(人間科学研究科)]

追記:見ている人は見ている。感じている人は感じている。避難所の人たちに思いは伝わっています。そして、緊急車両やボランティア車両で渋滞で遅くなったにもかかわらず、避難所にたどり着いて、すぐにO氏に出会えた。縁です。大きな行政の動きとは別次元に、大切なものを感じました。あの避難所で、遠くから一目でO氏を見つけられたのは、O氏の御尊顔がひかり輝いていてからです。私はあの時の光景を忘れません。感謝です。ありがとうございます。
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福島は今

親切会の機関誌『親切だより』に連載の「希望の扉」
・稲場圭信「希望の扉 第20回:福島は今」『親切だより』2012年9月号 No.586 2頁
(部分抜粋)

 京都大学で七月一一日に開催されたシンポジウムに私はコメンテーターとして参加しました。講演者の一人、東日本大震災復興構想会議の委員をつとめた玄侑宗久さん(芥川賞作家、福島県三春町福聚寺住職)は、福島の現状を「ぐちゃぐちゃ」、「なし崩し」と表現して、福島の人たちの苦悩を訴えました。約六万二〇〇〇人の福島県人が県外に避難しています。福島県内の放射線量の低い地域に移動して暮らしている人もいます。一方で放射線量が高い地域に住み続けている人もいます。様々な事情で、家族の中、地域の中でも対立が生まれています。

 七月二三日、私が世話人の一人として関わっている東北被災地支援の情報交換会で、「NPO法人チーム二本松」理事長の佐々木道範さんが福島の今を語りました。佐々木さんは福島県二本松市にある寺院の住職で、幼稚園の理事長も兼任しています。二本松市の子どもたちの首には積算線量計がぶら下げられ、被爆量が毎日測定されているのですが、線量計には数値が表示されません。三ヶ月毎に行政に線量計を渡し、後日、被爆量が通知されるのです。最初は数値を教えてくれなかったので、子どもの親御さんたちが立ち上がり行政に働きかけ、やっと実現したのです。

 放射性物質は目に見えないので、幼児には、なぜ外で遊んでいけないのか、泥いじりをしていけないのか、草花を触っていけないのかがわからないのです。佐々木さんは言います。原発事故から三ヶ月ほどして、子どもたちは外で遊びたいと言わなくなった。何かに絶望し、あきらめたと。しかし、七夕では、短冊に「そとであそびたい。ほうしゃのう、なくなれ!」と子どもたちが書いたそうです。

 福島では、子どもたちが安心して外で遊べるようにするために除染作業が進められています。先日、私も除染ボランティアに参加しました。ナイロン素材のレインウェアに長靴、ゴム手袋。吸い込みによる内部被爆をなるべく防ぐためのマスクをしての作業です。
まず放射線量を測定。スコップで地面表土を削ぎとり土嚢袋へ入れる作業。放射線量が高い植え込みの草の刈り取り。そして、あらたに運んできた土を入れ、平らにして、その上にセシウムを吸着させるゼオライト(本来は土壌改良剤)を引きつめます。マスクをしての作業で、汗だくになりました。自分で体験してはじめて、この作業の大変さと、終わりが見えない取り組みということを実感しました。

 私たちは何を守ろうとしているのでしょうか。小さな子どもたちの細胞が傷つけられ、地域社会の人々の心が引き裂かれていく現実を前に、もう過去のことのように風化させ、経済を優先する社会。変われない人たち、目が覚めた人たち。せめぎ合いの今、市民が声をあげました。福島の子どもたちを安心して遊ばせたいとの親御さんたちの切実な願いに応え、この夏、福島県外の三〇〇以上の場所で、保養プログラムが実施されています。

 小さな子どもたちが大人になった時、「二〇一二年の当時、あなたたちが変わらなかったために、動かなかったために、こんな世界になってしまった」と言われるか。あるいは、本当に時代の転換期だった、よかったと思えるか。
 もちろん、きれいごとではなく、現場での様々な矛盾にも出会いながら、心の中の葛藤に向き合いながらの営みです。自分が動いても世の中は変わらない、と思考停止では、本当に何も変わらない。小さな一声の積み重ねと継続が変革の力になります。まさに、涓滴岩を穿つ。この言葉に希望の扉を開く精神を感じます。

「利他的遺伝子の目覚め?」

「親切だより」連載「希望の扉」第一四回  「利他的遺伝子の目覚め?」
http://www2.himdx.net/sinsetu-kai/index.asp
大阪大学 稲場圭信

 今の日本社会、他者を助ける行為、利他的行為を自己犠牲とは感じない人々がいます。お互い様、そのような相互関係の心、連帝感が生まれています。前回の「希望の扉」でこのように書きました。三月一一日以後、日本社会で変化が起きていると指摘しました。多くの方が感じていることだと思いますが、本当にそうなのでしょうか?
 近年、欧米社会では、利他主義の動きが活発化しています。社会学、心理学、哲学などの研究の世界で「利他主義」研究が盛んになっています。二〇〇九年、アメリカ社会学会に、「利他主義・道徳性・社会的連帯」という専門部会ができました。日本でも、先日、小田亮著『利他学』(新潮選書)が刊行されたばかりです。

 利他とは、他者の利益になる行動です。電車で席を譲る、人が物を落としたときに拾うなど、他者のために動いたことがない人は少ないでしょう。東日本大震災では多くの人が被災地に義援金や物資を送り、救援に駆け付けました。なぜ人間はこのような行動をするのでしょうか。
 リバース・エンジニアリングという考え方があります。「機能」が何であるかが分かると、その「しくみ」の理解が進むという考えです。本書では、人間行動進化学の専門家である著者が、「機能」と「しくみ」から利他のメカニズムを平易に説明しています。
赤の他人への利他行動は互恵的利他で説明されます。つまりはお互いさま。そして、その利他行動は、直接的なお返しがなくとも、評判が立つことで第三者によって報われるのではないか。人の利他性と周囲の社会的なサポートとの間に関連性が確認されたといいます。情けは人のためならずと言ってしまえば、味気ないでしょうか。
 二〇世紀末からの研究は、利他性は社会生活によって学ぶことができるということを示しています。本書でも制度や規範からうば捨て山の話まで、社会との関係性が幅広く取り上げられています。利他行動を包括的に解明した本書の誕生は、従来のような行政主導のシステムに頼るのではない、利他性に富む市民社会が希求されていることの証左でもありましょう。
 本書の圧巻は、人間には、利他主義者とそうでない人をある程度見分ける能力があるという指摘です。人は見た目ではないといぶかしがる人は、その実験手順も含めてご自身で本書をご検討ください。

 さて、今回の導入部分の問いに戻りましょう。三月一一日以後、日本社会で変化が起きているのでしょうか。電通が四月に「震災一カ月後の生活者意識」調査を実施しました。全国四七都道府県の二〇歳から六九歳の二〇〇〇名が調査対象です。その調査報告のキャッチコピーが「震災で目覚めた利他的遺伝子」。そして、「静かに耐えながら、確かに強くなっている。心に備わっていた『助け合う本能』」と綴っています。
意識・行動の変化として、調査結果から三点あげておきます。第一に、「自分第一主義から家族回帰へ」です。「家族や友人・仲間を守ったり、助けたいという気持ちが震災前より強まっている」(61.2%)や「家族の絆や身近な人々との絆をいままで以上に重要にしようと思う」(63.9%)の結果が提示されています。地縁コミュニティの大切を痛感する一方で、緊急時には守れる人に優先順位を付けざるを得ない中に、うわべだけの人間関係が淘汰され、本当に大切な人との絆を求める意識が高まると指摘しています。
 第二点目は、「当たり前から、ありがたみ・感謝へ」です。いままで、当たり前のように感じていたことに対して、ありがたみや感謝を感じ、一瞬一瞬を大切にしようという気持ちが芽生えるようになると推測しています。
 そして、三点目は、「他人への依存から、主体・自律へ」です。「他人や社会のために役立ちたい、正しいことをしたいという気持ちが震災前よりも強まっている」(51.9%)という調査結果が提示されています。国や社会、周りのひとの誰かが何とかしてくれるという考え方では、何かあった時に対処できないことを知り、自分がやらなければいけない、できる人がやらなければいけない、という主体性・自律性の意識が高まると指摘しています。
 利他的遺伝子が目覚めたというのは、あくまでも比喩ですが、私たちの中に眠っている何かが目覚める、希望が持てそうです。

宗教と社会貢献―宗教的利他主義と思いやりが社会を救う!?

宗教情報センターのHPに以下のような論考が掲載されました。
稲場圭信「『宗教と社会貢献―宗教的利他主義と思いやりが社会を救う!?」

人と人とのつながりソーシャル・キャピタル

稲場圭信「希望の扉第7回:人と人とのつながりソーシャル・キャピタル」『親切だより』2010年7月号 No.570 2頁

 先日、大阪にあるユニークな寺院でのオープンセミナーにゲストとして参加しました。会場は、大阪市天王寺区のまち中にある應典院(おうてんいん)と呼ばれる浄土宗のお寺です。お寺といっても、いわゆる普通のお寺ではありません。檀家さんがいない、お葬式をしない、そんな一風変わったお寺です。 【“人と人とのつながりソーシャル・キャピタル”の続きを読む】

年月をかけて育むもの

・稲場圭信「年月をかけて育むもの」『親切だより』2009年9月号 No.560 2頁

日立グループが中心となっている「親切会」の会報『親切だより』に掲載された原稿です。
親切会:http://www.hitachi.co.jp/chubu1/sinsetsu/html.html

先日、ハワイ州オアフ島のホノルルに仕事で出張しました。常夏の島、ハワイとはいえ、スーツケースには書類や文献資料が鎮座し、水着などは入っていません。仕事での出張なのでスケジュールにレジャーの時間がないのは当たり前。ですが、何か見ておきたいと、ホノルル空港から5分ほどのところにあるモアナルア・ガーデン・パークに空き時間をつかって向かいました。
 そこは、24エーカー、東京ドームでいうと2個分の広さをもつ私有の一般公開庭園。元々はハワイ王国を建国したカメハメハ王家の保有地で、現在では財閥会社カイマナ・ベンチャーの所有となっています。日本からの観光客も数多く訪れる観光名所です。その理由は、そう「この木なんの木、気になる木」のコマーシャル・ソングでお馴染みの「日立の樹」があるからです。おそらく、日本一有名な樹でしょう。といっても、この樹はハワイにあるので、世界中の樹の中で日本人にとって一番有名な樹ということになるでしょうか 【“年月をかけて育むもの”の続きを読む】

イギリスの子育て・幼児教育事情(下)

・稲場圭信「イギリスの子育て・幼児教育事情(下)」『一冊の本』朝日新聞社、2007年11月号、pp.9-11、2007年11月
の一部抜粋です。

 イギリスでは、赤ちゃんが次女の月齢位になると、ナーサリーにあずけて働く女性も多い。そのナーサリーでも格差がある。バレー、ダンス、フランス語などのカリキュラムを取り入れているところもある一方で、約4%のナーサリーが赤ちゃんを泣きっぱなしにし、狭い所に放置して十分に動き回らせないと、その不適切な扱いと環境が指摘されている(Ofsted「Getting on Well」報告)。
 イギリスは階層社会である。話し方、生活習慣、教育にそれがあらわれている。成人学習団体(Learndirect)の調査では、5歳から10歳の子を持つ親の二割が英語の宿題を手伝うのに困難を感じているという。初等教育を終える一一歳の四割弱の生徒が読み書き計算が正しくできない(8月政府報告)。階層社会で下層にいる人たちの中には、読み書きに不自由を感じる人もいるのだ。 【“イギリスの子育て・幼児教育事情(下)”の続きを読む】

イギリスの子育て・幼児教育事情(中)

・稲場圭信「イギリスの子育て・幼児教育事情(中)」『一冊の本』朝日新聞社、2007年10月号、pp.8-10、2007年10月
の一部抜粋です。

 願いをこめて子どもの名前をつける。それはイギリスでも同じである。書店では命名の本が売っている。二〇〇六年、伝統的な名前の人気上位は、男の子ではトーマス、ジェームズ、ウイリアム、女の子ではエミリー、シャロット、エマ。現代風の名前では、男の子がタイラー、ハーヴェイ、ハリソン、女の子がミア、ポピー、マディソンだ。
 名前だけでなく、子どもの将来を思って環境を整え、教育に熱心な親もいる。20年前は幸せであれば成績は気にしないという親が多かったが、近年、教育熱心な親が増えていると、八月一二日付けのタイムズ紙で記者が自分の子育て体験をもとに述べている。中流階級でも安定した収入で生活するには厳しい競争に勝たなければならない。能力社会(meritocratic society)で競争が厳しくなっているのだ。 【“イギリスの子育て・幼児教育事情(中)”の続きを読む】

イギリスの子育て・幼児教育事情(上)

稲場圭信「イギリスの子育て・幼児教育事情(上)」『一冊の本』朝日新聞社、2007年9月号、pp.9-11、2007年9月
の抜粋です。

2007年6月の入梅の時期に日本をイギリスに向けて出発した。オックスフォード大学とロンドン大学の客員研究員として9月下旬まで滞在する。
 関西空港からロンドン・ヒースロー空港まで12時間のフライトは小さい子どもには退屈だ。わが家族には乳幼児がいるので、決め細やかなサービスも考えていつも利用している日本航空に今回もお願いすることにした。客室乗務員にバーバラさんという英国人がいた。彼女は機内サービスの合間に長女の話し相手になってくれた。長女には生まれた時から英語の子守唄や子どもむけの歌(nursery rhymes)を聞かせ、英語で歌ったり踊ったりする教室にも楽しいというので通わせていた。私も自分のへたな発音が娘にうつるのを心配しながらも英語で話しかけていたのである。イギリス滞在の助走はできているはずだ。しかし、滞在期間中、長女は日本の友だちがいない環境におかれる。大丈夫だろうか。英語で話しかけるバーバラさんにアニメのキャラクターを見せ恥ずかしそうに話す長女。心配するよりも何事も経験である。

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